今回は「ぽこあポケモンを無期限でやめる事にした話」以上に長文になってしまいましたが
これでもかなり圧縮した本音の文章になっております。

少し前に、ぽこあについての記事を書きました↑
あの記事を書いた時は、「ぽこあポケモンとの距離感を見直すための整理のつもりでした」
でも実際には、それだけでは終わりませんでした。
記事にしたこと
そのあと、読んでくださった方からDMをいただいて、お返事をしていったこと
そのやり取りの中で、自分の気持ちや考え方が、思っていた以上にはっきり見えてきたからです
その流れの先で、今回あらためて向き合うことになったのがドリバレでした
そして今、ドリバレもここで一区切りしようと思っています
突然に見えるかもしれませんが、自分の中では、ぽこあの記事から静かにつながっていた話
リリースからずっと遊んできた、大きな存在のゲームでした
ドリバレは、リリース当初からずっと遊んできたゲームです。
気づけばプレイ時間は、トータルで2100時間くらいになっていました

ここまで長く続けてきたゲームなので、もちろん思い入れもあります
少し触って終わったゲームではなくて、自分の毎日の中にかなり長くあった存在でした
だからこそ今回の一区切りも、勢いで決めたというより、長く続けてきたからこそ分かってきたことの積み重ねなのかなと?
ぽこあの記事を書いたあと、自分の見え方が少し変わりました
文章にすると、自分でも気づいていなかったことが見えてくる時があります。
今回もまさにそうでした…
ただ遊んでいたつもりだったものが、書いていくうちに、実は自分の性質や、物事との向き合い方まで映していたんだなと思うように
さらに、その記事を読んでDMをくださった方に返信していく中で、自分の中のぼんやりした感覚がもう少し輪郭を持ってきました
「何が心地よくて」、「何がしんどかった」のか
「何に惹かれて」いて、どこで「ズレが生まれていた」のか
そういうものが少しずつ整理されていって、ドリバレの見え方も変わってきたんだと思います。
ぽこあとドリバレは、同じ「やめる」でも中身が違った
どちらも続けてきたゲームではあるのですが、自分の中で起きていたことは少し違っていました
ぽこあは、面白さがちゃんとあったからこそ深く入り込みやすくて、生活全体とのバランスを考えた時に、このままだと少し危ないなと思ったものでした
でも、ドリバレは少し種類が違っていました
続けてきた時間はあるし、楽しさがまったくなかったわけでもありません
ただ、あとから振り返ってみると、自分がこのゲームの中心にある楽しさそのものに強く惹かれていたかというと、少し違った気がします
私はもともと、ぽこあポケモンの「ポケモン」もそうですが、「ディズニーのキャラ」そのものに強い思い入れがあるわけではありません
そして、バレー全体を作り込んで世界観を完成させていくことにも、実はそこまで気持ちが向いていませんでした。
ここが、自分の中では大きかったんだと思います。
ぽこあの修復作業で、自分の好きなことが見えてきました
自分の傾向がはっきり見えてきたきっかけのひとつが、ぽこあの中でやっていた修復作業でした。
・崩れているところを直す
・足りないものを埋める
・散らばっているものを整えて、動きやすい状態にしていく
そういう流れに、私はかなり強く面白さを感じていました
何が不足しているのかが見えていて、そこに手を入れると、少しずつ全体が良くなっていく
その積み重ねが、自分にはすごく気持ちよかったんですよね。
そこで気づいたのは、自分が惹かれているのは、ただ自由に飾ったり作ったりすることそのものではなくて、乱れているものを整えること、抜けている部分を補うこと、流れを良くすることなんだということでした。
私が好きなのは、タスク埋めと修復と効率化
あらためて整理してみると、私が夢中になりやすいのは、たぶんこういう要素なんだと思います
・やることが明確にあること
・足りないものが見えること
・そこに手を入れて、少しずつ整っていくこと
・無駄を減らして、動きやすい形にしていくこと
つまり自分が本当に好きなのは、タスクを埋めること、修復すること、効率を上げることでした
そう考えると、ドリバレの中でも楽しめていた部分に納得がいきます。
拠点の中で、ここをこうしたら使いやすいとか、ここを整えたら動きやすいとか、そういうことを考えるのは楽しい
でも一方で、バレー全体を大きく飾り込んで、景色として完成度を高めていくような遊び方には、最後までそこまで気持ちが乗りませんでした。
好きなことがなかったわけではなくて、好きになれる範囲が限られていたんだと思います。
もうひとつ大事なのは、ストーリーに惹かれることでした
今回あらためて見えてきたことが、もうひとつあります。
私はたぶん、ただ作業として進めるだけではなくて、物語の強い作品にかなり惹かれるタイプなんだと思います
たとえば龍が如くみたいに、人間関係や感情の揺れが濃く描かれている作品
人物の背景や、抱えているものや、変化していく過程が見える作品
そういうものには、かなり気持ちが動きます。
映画や漫画が好きなのも、たぶんそこが大きいです
ただ時間を使うだけではなくて、その作品の中にある感情やドラマに触れられることに、私は強く惹かれているんだと思います
そう考えると、ドリバレは長く遊んできたゲームではあるけれど、自分がいちばん深く反応する面白さの方向とは、やっぱり少し違っていたのかもしれません。
憧れと、自分に向いていることは同じではありませんでした
今回かなり大きな気づきでした。
レイアウトが上手な人を見ると、すごいなと思うし、こういうふうにできたらいいなと憧れる気持ちもあります
ドリスナで素敵な作品を見ると、いいな、こうなりたいなと思う気持ちもちゃんとあります
でも、実際の自分が強く反応するのは、最初から整っている場所を飾ることではなくて、乱れているものを片づけたり、足りないものを補ったり、使いやすく直していくほうでした。
たぶん私は、完成された景色を作ることよりも、途中にあるものを立て直していくことのほうに面白さを感じるタイプなんだと思います。
そう思った時、今まで感じていた小さな引っかかりにも納得がいきました。
素敵だと思うものと、自分に合っているものは、必ずしも同じじゃない。
最近はそれをすごく感じます。
楽しいはずのものが、途中から別のものになっていくことがある
DMでやり取りをする中で、あらためて思ったこともありました。
私は「好きだからやっている」はずのことでも、途中から少しずつ性質が変わっていきやすいんだと思います。
楽しいからこそ熱中する。
でも、気づけば「好きでやっている」のか、「ここまでやったなら最後まで進めないと落ち着かない」のか、自分でも分からなくなることがある。
これはゲームだけじゃなくて、他のことでも少し似ているところがあるのかもしれません。
・ちゃんとやりたい。
・中途半端にしたくない。
・目標が見えると、そこまで進まないと落ち着かない。
それ自体は悪いことではないけれど、その気質が強く出すぎると、楽しさより先に、達成しないと気が済まない感覚のほうが前に出てきてしまうんですよね。
今回のことを通して、その傾向をあらためて感じました。
区切りをつけると考えたら、気持ちがすっと軽くなりました
今回いちばん分かりやすかったのは、この感覚でした
もうここで終わりにしよう
そう考えた時、気持ちがすっと軽くなったんです。
寂しさがまったくないわけではありません
でも、それ以上に「これでいいかもしれない」と思える感覚がありました。
たぶん私は、続けるかどうかで悩んでいたというより、もう自分の中ではある程度答えが出ていて、それをちゃんと認めるところまで来ていたんだと思います
無理に続けるより、自分に合うものへ戻っていくほうが自然
そう思えたことで、かなり納得ができました。
ここまでの時間を否定したいわけではありません
やめると決めたからといって、今までの時間まで消したいわけではありません
2100時間という時間は、自分にとって決して小さいものではありませんでした
長く遊んできたからこそ、楽しかった時期もあるし、夢中になっていた時間もちゃんとありました。
だから、無駄だったとは思っていません
むしろ今回よかったのは、続けてきたからこそ、自分がどんなものに気持ちよさを感じるのかが見えてきたことでした
好きだと思っていたものを見直してみたら、実際に自分を動かしていたものは少し違っていた
その発見は、自分にとってかなり大きかったです。
立ち止まって、自分が本当は何をしたいのかを見る
やりたいことが多いと、全部ちゃんとやりたくなることがあります
中途半端なままにしたくないし、できるなら全部うまく回したい
でも実際には、時間にも気力にも限りがあります。
だからこそ、ときどき立ち止まって、私は本当は何をしたいんだろうと見直すことが大事なんだなと思いました
続けられるかどうかだけじゃなくて
ちゃんと心が動いているか
終わったあとに、自分の中に心地よさが残るか
無理に管理しようとして、逆にしんどくなっていないか
そういう感覚を置き去りにしないようにしたいです
今回ドリバレをやめると決意したのも、少し立ち止まって見えた、自分なりの答えでした
おわりに
というわけで、ドリバレをやめることにしました。
リリースから遊んできて、トータルでは2100時間くらい
それだけ長く向き合ってきたゲームだったからこそ、今回の区切りにも自分なりの意味があるように思っています。
ぽこあの記事を書いたこと
その記事を通してDMをいただき、言葉を返していく中で、自分の中の感覚が整理されていったこと
そして、ぽこあの修復作業を通して、自分が本当に面白いと感じるものが見えてきたこと
その全部がつながって、今回の気持ちにたどり着いたんだと思います。
ドリバレに向いていなかったというより、
自分がいちばん楽しいと思える場所が、少し別のところにあった。
そう分かっただけでも、続けてきた意味はちゃんとあった気がします。
今は少しほっとしています。
また、自分にしっくりくる楽しみ方を大事にしていきたいです。

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